『 ニコル・アマルフィ 』



 そう刻まれた墓石の前に立つたびに、悲しみというよりもむしろ、不思議な気持ちになるのだった。

 あのとき、彼が死んだあのときに、ディアッカは、とっさに自分の感情を投げ出した。そうして爆発しかけた友人たちのそれにぶつけて、拡散させることを選んだ。
 それをそうしたことに後悔はない。死者よりも生きている者を優先するのは当然だ。だが、そのとき手放してしまった感情は、今もまだ胸の内にあり、どこか、何か、ゆるやかに跳ね返り続けているらしい。時折、自分でもびっくりするようなときにそれはこつりとぶつかって、その存在を知らしめた。それでいて、はっとして目をこらしたときには、それはもうどこかへ転がっていて、見えなくなってしまっている。悲しむには時間が経ちすぎていた。ディアッカは、傷を消そうとしなかったときのイザークの気持ちが少しだけわかったような気がした。ただ、今はただ、この胸のどこか。どこかから届く残響が、いつまでも木霊しているように思えてならない。





 彼は死ぬべき人間ではなかった。
 もちろん、死ぬべきものなんていない。そもそも生まれるべきものだっていない。生き物はみな何かのはずみで生を受け、何かのはずみで死んでいく。しかし、そんなふうに思ってみても、やはり彼は死んではいけなかった。

 ディアッカは死にたくなんかない。他人を蹴落としてでも生きていたい。だけど、もし自分と彼とを並べたなら、選べるとしたら、もしかして彼の方を取るかもしれない。少なくとも、そんなふうに思う程度には、彼は死んではいけなかった、と、ディアッカには思えてならないのだった。

 だってさあ、と、ディアッカは思う。俺はピアノは弾けないし。あんなふうに柔らかく笑うことも、あたたかく、誰もに好かれることだってできない。彼にできず、自分にはできることだって無論たくさんある。だけどこんなふうにすり切れ、疲れ果ててしまった世界に必要なのは、やはり彼のような人間…いいや… 彼、だったはずなのだ。皆の救いになることなんて、俺にはできねえよ。それなのに彼はもうおらず、自分は墓標を前にしている。何かが間違っている気がしていた。間違っているのは自分であるような気もした。何もかもわからないままそれでも生き続けていかねばならないこの世界に、やっぱり彼はいないのだ。騙されているような気もした。誰にだろう。神様だろうか。









 …なんて。色々並べた所で、本当は、怖いのだ。
 彼は死んでしまった。それが怖い。あんな優しい、正しい、よい生き物が、それでも、それなのに、死んでしまった。それが怖くてたまらない。人が死ぬのは怖いことだ、それがたとえどんなに遠い、見知らぬ他人に訪れたものでも。だから人は死をカメラやフィルムや、書類や、アナウンサーや、電波や液晶にBGMと、幾重にもフィルターをかけて、限りなく無機質に濾過してから摂取しようとする。
 人が死ぬのは誰だろうと怖い。それを俺たちに一番最初になまなましい重みと手触りと絶叫と血飛沫でもって突きつけてきたのが親友の、よりにもよって、あの、誰からも愛されて、誰をも愛した少年の。…あんまりだ。

 そして、そんな彼でさえ人を殺していた。そう気づかされたことが、本当は、一番怖い。










 せめて大地の上でよかった。と、ディアッカは、今ではそんなふうに思ったりする。
 彼が散ったのがそこでよかった。冷たい真空のただ中でなくて、せめてもよかった。ばらばらに崩れて溶け消えていった彼の体はいつか土へと還るだろう。それを苗床にした小さい花が、いつかきれいに咲くといい。きっと誰もが微笑むだろう。もう二度と、誰を悲しませも、苦しませもしないで済む。

 もちろんのこと、死んでしまった彼には今や何ひとつ関わらないことだ。だけど、そんなふうに考えられたら、残された者たちは少しだけ救われる。ほんの少しだけでも、たとえ錯覚だとしても構わないんだ。そうやって勝手に(必死に) 救われたような気持ちになろうとしている俺たちを、あの優しい少年ならば、きっと笑って許してくれるだろうと思う。














20121119 有る程の