高い塔の一番上にはとてもきれいな子どもがいました。チシャと引き換えにさらわれてきた子どもはイザークという名前で、白磁の肌に青玉の瞳、月光を縒ったかのような銀糸の髪を持つ、それはそれは美しい子どもでした。
イザークをさらってきて塔の上に閉じ込めたのは悪い魔女です。魔女はイザークに呪いをかけたと言いました。

「君はここから出られないのだ。それが呪いさ」

魔女は言いました。その口もとは笑みのかたちに緩んでいましたが、目元は無機質な仮面に覆われ、どんな表情が浮かんでいるのだかわかりません。

「君は若く、そして美しい。賢くもある。そんな人間を人に知られず、何にも触れず関わらせずに、こんな所でただ朽ちるだけにさせておくんだ。どうかね、すごく素敵だと思わないかい」

イザークは端的に、この変態、と応えました。魔女は少し悲しげに、しかしどこか楽しげに肩をすくめました。「仕方なかろう。だって魔女ってそういうものだ」 小さく手を振ってみせると、魔女は行ってしまいました。








呪われていようが祟られようが、だからといってそのままおとなしくしている手などありません。イザークはさっそく脱出する手段を模索しました。しかし塔は高く、使えそうなツールもありませんでした。それで、どうにも仕方がないので、イザークは髪を伸ばし始めました。さいわいまっすぐで絹糸みたいな髪です。長ささえ足れば、人ひとりの体重くらい十分支えてくれるでしょう。ずいぶん気の長い計画ですが、他にやりようもないので、イザークは髪を伸ばしました。することがないので色々なことを考えました。自分がさらわれたせいで離婚してしまったと風の噂に聞くお母さんのことや、ここから出たら都へ行って立身出世したいとか、できればあの魔女を見つけ出し一発(と言わず) 殴りたいことなどを考えて、長い時間を過ごしました。








長い時間が過ぎました。イザークの髪は長く豊かに、いよいよ美しく流れるようになりました。ここを出る日もそう遠くはないだろうとイザークは思いました。実際髪は、塔の高さ分くらいの長さはもうあるのです。あとは柱にでもくくりつける部分と、万一のために体を縛る分の長さができれば、いよいよこんな塔とはおさらばできるはずでした。

「都へ出たら、俺はきっと偉くなるんだ」

言うイザークに、そうだなあ、お前ならきっとそうなるよと笑って少年が応えます。年の頃ならイザークとそう変わらないほど、夜色の肌にアメジストの瞳のよく映える、くせのある金色の、暁光のかけらを散らしたみたいな髪のその少年はディアッカという名前で、イザークのともだちでした。あるときイザークが閉じ込められている塔のある森に迷い込み、それをイザークに見つけられたのです。こんな呪いや魔法にまみれた怪しい塔なんかがある森で迷うなんて、バカだなとイザークは思い、しかし何しろ退屈をしていたもので、帰り道を教えてやったのでした。すると次の日、彼は、今度は塔を目指して、わざわざまたやってきたのです。ああやっぱり馬鹿だったのだなとイザークは思いました。口にも出しました。ディアッカは、笑っていました。そして、それから、二人は友達になったのでした。
ディアッカはほとんど毎日、塔のイザークの所に遊びに来ていました。月日が流れ、塔のある森の隣の町で仕事に就いてからは、毎日とはいきませんが、それでも休みの日には必ず顔を出しました。イザークの髪が塔の高さをクリアしたあとは、それを伝って、こうして、塔の上までもやってきたりしていたのです。

「だって、髪も、もうそろそろなんだろう」
「ああ、そろそろだ。もう本当にあと少し」
「そうか…それじゃお前とこんなふうにして過ごすのも、もう終わりだなあ」

ディアッカが寂しげに微笑むので、イザークは、ばかだな、と笑いました。

「そんなの、一緒に行けばいい。俺と一緒に都へ行こう」
「それはできない」

ディアッカの明るい声がきっぱりとして言ったので、イザークは、笑みかけた唇のかたちをそのままに、ディアッカを見返しました。

「俺は行けない。俺にはここで仕事がある」
「…そんなの、」
「偉くなるには都へ出ないとならない。こんな僻地は人がどんどん減っていて、仕事なんかなくなってってる。そんな中で、俺はそれを貰って、させてもらって暮らしているんだ。投げ出してなんかいけないだろう」
「じゃあ…それなら、俺もここで」
「仕事、ないって言ったろ。それにイザークは都へ出るべきだ。偉くならなきゃいけないよ。ノブレス・オブリージュって知ってるか? ちょっと違うけど、だけどお前はとても賢いし、色んな、他の人にはできないことだってできるだけの力がきっとあるんだから、世のためになることに従事するべきだ。それこそ、この辺まで届くような景気回復の事業とかさ… お前はこんなにきれいだし、きっとみんな、お前のことを好きになるよ。大丈夫」 ディアッカはイザークの顔をのぞきこみます。「…それにさあ、もしも二人で行くとして、それでもやっぱり、もうこんなふうではいられなくなるぜ。偉くなるには仕事をしないといけない。どっちみち、塔の外へ出て暮らすなら働かなきゃならないし。そしたらこんなふうに、会うためだけに会ったり、一緒にいるためだけに時間を過ごしたり、そんなのはもうできなくなる。二度と会えないとかじゃないさ。でも今のこの関係とは、色んなことが少しずつ、だけど必ず、違うものになるだろう。 外に…この塔の外に出ていくって、そういうことだ」

この塔は、お前を呪っていたけど、守ってもいたんだろうなと、ディアッカは小さい声で言いました。それから黙ったままのイザークをちょっと眺めて、また来るよと言うと、銀色の髪を伝って塔から降りていきました。








その夜イザークは、ひとりっきりの塔の上で、長いこと考えていたのです。けれど、それらはちっともまとまらず、だんだん頭が痛くなってきたので、床に散らばった自分の髪の上に横になり、目を閉じました。その拍子に、片方の目の端から涙が一粒だけこぼれました。それがあんまり自分らしくなさすぎて、イザークは思わず笑ってしまいました。
イザークはそのとき、神様にでも祈ってやりたい気分だったのでした。ですがあいにく、塔の中しか知らない彼は、神様のことなんて、すがるべき姿も、唱えるべき名前も、何ひとつ知りませんでした。








次の休み、いつものように塔へ向かったディアッカは、いつもより少し早足で歩いていました。この前あんなふうに別れてしまったから、イザークは怒っているかもしれませんでした。塔の上に上げてくれないかもしれないし、ひょっとして、もう塔を下りてどこかへ行ってしまっていたらどうしよう。ディアッカはそんなふうに心配をしていたのです。だけどイザークはちゃんといました。頬杖をついてぼうっとしていたイザークは、ディアッカの顔を見ると、黙って髪を下ろしてくれました。ディアッカはそれで安心し、塔を登っていきました。上まで着いたら、まず謝ろう。ごめんって言って、そして笑ってしまおうと、ディアッカは思っていたのです。
だけどディアッカが降り立つが早いか、イザークはディアッカから自分の髪を奪い取りました。首の後ろあたりで束ねると、隠していたはさみでばっさりと切り落とし、そして、それを、塔の外へと投げ捨てました。イザークの美しい髪は銀色の滝のように、きらきらと流れ落ちていきました。とっさに身を乗り出してそれを見送ったディアッカは、なんてこと、と、つぶやいたのです。それを聞いたイザークは、顔を歪め、はさみを投げ捨ててうずくまりました。ディアッカが近寄ってくる気配がしましたが、顔は上げませんでした。上げられませんでした。

イザークはそのまますぐに、ほとんど気絶するように眠り込んでしまいました。こんな、どうしようもないとき、どうにかしたくてもどうにもできないときなんかには、眠るくらいしかないのだということを、イザークは身をもって知っていました。イザークは神様を知りませんでしたが、神様がいないということならよくよくわかっていたのです。もしも神様か、何かそういうものがいるならば、イザークはこんな塔からはとっくの昔に出られていたはずでした。髪を伸ばす以外に何もすることがなかったイザークは、何もできない長い長い時間を過ごす間に、どうか早く出られますようにと願わない日はなかったのです。それが叶わなかったということは、つまり、そういうことなのでしょう。

寝ている間に夢を見ました。誰かが何かを語りかけてきていて、イザークはそれにとても腹を立てていました。だけど、目覚めるまでそのことを覚えていられないことも、イザークにはわかっていました。








目を開けると目の前にディアッカの顔がありました。驚いて思い切り体を起こしたイザークは額と額を思い切りぶっつけて、しばらく二人で黙ったまま床の上を転がりました。
そのうちにやっと起き上がり、二人は顔を見合わせましたが、イザークが口を開こうとするのを、なぜかとても慌てたディアッカが阻止したのです。「わかった、悪かった!頼むから先に謝らせろよ!」 イザークは、何馬鹿なことを言ってやがんだ、と思いました。謝らなければいけないのはどう考えたってイザークの方なのですし、それにそれはもう、謝ったってどうにもならないことなのに。だけどディアッカは黙り込んだイザークを見ると、その口から手を離して神妙な顔になりました。

「…お前が髪を捨てたとき、俺はただ、もったいないと思っただけだったんだ。だってあんなにきれいなのに。売ればいくらになるだろう…いや、そんなのはどうだっていいんだけどさ。なあ、だけど、あのときほんとは、俺すごくうれしかったんだ」

ディアッカは照れたように少しうつむいて、イザークの大好きな、太陽みたいないつもの笑顔で笑いました。

「本当は、景気なんかどうでもよかった。義務も都も知ったこっちゃない。俺はイザークにここから出てほしくなかったんだ。それで少しすねてたんだよ。だってさあ、イザークがここを出ちまったら、イザークのことを俺が独り占めしていられなくなるじゃないか!」

そう言われた瞬間、イザークは、なぜだろう、都のことも、お母さんのことも、魔女のことも、ここから出たいと思っていたことさえ、何もかも忘れてしまったのです。


(君はここから出られないのだ)


イザークはディアッカの手を取り、にっこりと笑いました。ディアッカはちょっとびくりとしてから、やっぱり同じように笑いました。


(それが呪いさ!)


二人はいつまでも塔の上で、そしていつまでも幸せでした。
それで、おしまい。














20120427 めでたくはなし