もちろんのことその翌朝にディアッカを襲ったのは擦過傷のこすれる痛みと筋肉痛に倦怠感で、普段から鍛えているとはいえ、普段は使わない筋肉や器官のダメージは随分大きかった。一番こたえたのは心というかプライドだった。男として、というところのそれだ。最後の方はもうよく覚えていないけど、キスされたこと、泣いたこと、すがって、そうして、熱かったこと。できる限り思い出さないよう努めても、その断片がよぎるだけでも頭から布団をかぶって思いきりじたばたしたい心地になったが、動けないし、痛いので、おとなしく寝ているしかできない。 そんなディアッカを後目にイザークは淡々と身支度をして部屋を出た。いつもよりも早かったくらいだ。ディアッカの欠席の連絡を持っていくためで、体調不良ということになっている。あながち間違いでもないけどな。行ってくる、と言うのにいってらっしゃいと返すと、足音が戻ってきて、なんだなんだと見上げたら額にキスされた。 一人になった部屋の中で、今のは何だったんだろうとディアッカは考える。昨日のことは、あれは青少年のノリと勢いが暴走したようなもんだ。若い性の歯止めの効かなさは、ディアッカだって同じ若い男の身、よくわかる。犬に噛まれたとでも思えばいいんだ。しかしさっきのキスがわからない。犬に噛まれて何針も縫った翌日に、同じ犬が手を舐めにきたみたいなものだ。あいつ、何かやなことでもあったかな、とディアッカは思った。 少し眠って目覚めると、部屋はまだ静かだった。この部屋で目が覚めたときに一人なのは、そういえばめったにないよな、とふと思う。窓の外から昼間の喧騒が遠く聞こえる。あの中に自分がいないのが何か奇妙だ。そっとベッドを降りてみると、まだ身体は重かったが、かなり回復はできている。ミネラルウォーターのボトルをあおり、飲みながらもうひとつのベッドを見る。きちんとベッドメイクのされた上に、しわを作らないよう腰を下ろした。 お前は何を考えてるんだ? ベッドの表面を手のひらでなでて、そのことを思う。俺には全然わかんねえよ。 ふいに、昨日は自分のベッドでされて、そのまま二人で眠ってしまったから、こっちは使われなかったんだと思い至る。なんとはなしに腹立たしくなり、勢いよく身体を投げ出した。ひんやりとした他人のにおい。俺は、あいつのことを、よくわかってなかったのかもしれない。わからないままで近づきすぎたのかもしれない。 とりあえず学習はできてなかったと深く反省したのはどれほど時間が経ったんだろう、日は落ちて、外がもう暗くなってからのことだ。気がつけば部屋には明かりがつき、ディアッカはいつのまにかイザークのベッドで寝ていたらしく、ベッドの端にはイザークが腰かけてこっちを見ていて、そして両手は昨日と同じに手錠とベッドでつながれていた。 「で…何がどうしてこの状態?」 「訊きたいのはこっちだ。おとなしく寝ていたのはいいとして、なぜ俺の方にいるんだ」 「いや、それは事故っていうか、俺のミスっつうか…それはいいだろ、謝るからさ、だからー、それより、どうして俺はまたこんなのされているんだよ」 「据え膳に逃げられないように」 「据え膳って…お前…」 眠りすぎた頭はぼんやりしている。薄くだるさの残る身体。昨日はされなかった深いキスに眉根を寄せつつ、こいつうまいな、と頭のどこかがつぶやいた。 「…なんなの?すんの?」 「まだつらいか?」 「ちょっとな。でもそれより、昨日の今日でお前がまたその気になったのが驚きだよ」 「どうして?」 イザークは小さく笑う。ディアッカはイザークのこの顔が好きだ。余裕を持っている、少し意地悪な、だけど優しい、まっすぐな、きれいな。いかにもイザークらしいそれ。 「どうしてって…当たり前だろ」 「…お前な、結構えろい顔をするんだ」 「き、聞きたくなかった…」 昨日と違ってキスが長くて、何度もされる。その間ずっと胸に触れられていて、感じるまではいかないが、なんというか変な気持ちになった。なんていうか。なんていうか… 下を脱がされながら昨日の痛みを思い返すが、熱を持ち始めた身体はそのままだった。OK, しょうがない。初めて会ったときからこのかた、こいつを止められたことなんかなかったし、いつのまにか一緒に走り出していた。いつだってそうなんだ。 「…イザークさん、俺逃げないからさ、この手錠外してほしいんだけど」 イザークは疑わしげに睨んできたが、ディアッカの顔を見、黙って鍵を差し込んだ。昨日暴れたせいで手首には傷がある。それへの配慮か、今日は手錠には布が巻かれていた。こういうところでこいつのことって嫌いになれない。混乱していた昨日に比べ、もたらされる感覚はずっと生々しかったが、大分要領はつかめてきた。身体を動かす系のことなら何事も一度で覚え、こなさないとならない、軍属の悲しい性だ。こんなシチュエーションではそれがいいんだか悪いんだか。 (…こいつ、こんな顔するんだ) 昨日とは違うことのひとつ。ディアッカにもイザークの顔を見るだけの余裕があること。いつも通りにきれいで美人なイザークの頬が上気していて、色っぽいのに、その表情が、雰囲気が、それだけでないと主張する。肉食獣が獲物の肉を食らっている。食われているのは俺だ。食われているのが、俺だ。 「…今、」 「…あ?」 「エロい顔してるぞ、ディアッカ」 「…ああ、そう…」 心の中でだけ言う。お前には負けるよ。背中に腕を回すと、イザークは笑ったようだった。 明日は授業に出られるだろうか。 20110301 |