食う? と訊かれて反射的にいらんと返した。しかし、何をだ。顔を上げると、ひらべったい箱を手にしたディアッカが、きょとんとしたような丸い目で見返している。口をもぐもぐと動かしながら。イザークはそれを認めて、…あー、と思った。それはつまり、天災だった。意識していようがいまいが否応なしに襲いかかり、意識しようがしまいが逃れられず、そうして多かれ少なかれ、爪痕を残していくものだ。イザークの場合、それは机の上だったり、ロッカーの中だったり、郵送だったりした(顔はこんなでも気性がこんななので、直接というのはあまりない)。なんといっても、悪意がないというあたりなど、まったく天災そのものだ、と、イザークは思う。 おかげで伸ばした腕は中途半端に空を切り、追い払おうとしたのか、差し出したのか、自分でもわからなくなってしまった。それを見たディアッカが、ハイ、と箱を近づけて寄越すから、イザークは黙ってひとつを取った。薄いチョコレートを何枚も重ねて広げた意匠の、花のような繊細な造形のそれは、舌の上ではそれこそ花開くようにほろりと溶けていくのだろう。だけどイザークの口の中に放り込まれたそれは、不幸にも舌に触れるより早く噛み砕かれてしまうのだが。 「…状況判断が、客観的、合理的なのはいいことだ。ただ実生活においては、より重要視されるべきものがあるとは思わないか」 「? うん?」 「デリカシーとかな!」 イザークは手元のキーボードをばんと殴った。画面にでたらめな文字列が踊り出す。 「贈り主と俺の両方に対して配慮が足らねえ! こういうときのそういうものは自分の所有になったからって好きに人にやっていいもんじゃないだろ…もらいたくもない、つーか、何だこの、やたら甘っ」 「ああ、それ、多分一番甘いやつだ。ビターあるけど食べる?」 「いらん! 話をそらすな! あとものを食った手を服で拭くな!」 ばんばんとキーボードを殴り、画面を黒く埋めていくイザークを眺めつつ、ディアッカは新たなひとつをつまみあげる。シンプルな菱形の立方体の、金色の文字で読めない何かが書かれているやつだ。店の名だろうか。どうでもいいが。 「気を悪くしたんなら、謝るけど」 それだけ言って、ディアッカはチョコレートを口に入れ、閉じる。だけど、だってさ、と、胸の内だけでひとりごちる。俺は、俺の持ってるものなら、全部お前にやれるから。それが、命だろうと、信念だろうと、たとえそれ以上のものだって、何だってイザークへ明け渡すことが、ディアッカにはできる。息をするより自然なことだ。ディアッカという生き物の中に、イザークが触れられない部分はひとつもない。からだの一番深いところを、暴かれて、踏みこまれて、そんなことだって、それこそ物の数ではない。…ディアッカにとって命より大切なものとはイザークではないし、それはディアッカのものであり、イザークのものではけしてない。だけど、それをイザークのために、イザークの前へと投げ出すことに、きっとディアッカはほんのわずかもためらわない。たとえそれをイザーク自身は望まないとして、そんなものいらないと拒まれて(憤って、あるいは、傷つけて) しまうのだとしても。 こんなことをそのまま言ったりしたら、告白なのか脅迫なんだかわかんねえなあ、とディアッカは思う。もとより言うつもりもなかった。デリカシーがないと断言されたことに、本当は、少しばかり傷ついていたのだ。ディアッカは黙って舌の上の甘さを転がし、のどが乾いたなと考える。それほど小さくもない箱の中身は半分ほどまで減っている。明らかに食べすぎだった。 「大体貴様は、」 「オーケー了解よくわかった。お詫びにこれあげる。箱ごとあげよう」 「いらんわ!」 「いやー、実はさっきから胸焼けしててな。もらってください」 「バカだ…」 半眼のイザークに箱を押し付け、出ていきかけたディアッカは、開いた扉に手を置き振り返った。 「俺が思うに、お前にはデリカシーより重要なものが足りない」 「…何だって?」 「想像力とかな」 ディアッカはにやあと変な笑い方をする。 「なんでそれに贈り主がいるって決めつける。たとえばさ、俺が自分で買ったかもとか、ほんのちょっとでも考えてみたりしないのな?」 イザークが、何かを言おうとしたときには、もうその先にディアッカの姿はなかった。イザークは手にしたままの箱の中できれいに並んだきれいな菓子を見、脇に置き、ひとつを取って口に入れる。敵のごとくに噛み砕く。甘い。甘すぎる。 その甘さをしみじみと噛みしめてから、イザークは「…どっちだ!」と叫んで、哀れなキーボードをまた殴った。 20120214 |