「あっ」
「あ?」

 溜めっぱなしの資料を抱えて歩いていたのが途中で面倒くさくなり、手近だったディアッカの部屋にノックはなしで踏み込むと、声が上がって、適当な椅子に紙の塊をばさばさと投げ出してから顔を向ければ、部屋の主が片手でせわしく招いている。しわの寄ったシーツの上に座り込んでいる前には帽子箱ほどの白い紙箱がひとつ。甘くて少し冷たい香り。

「…貴様、甘党だったか?」
「家から送ってきてた…らしい。そういや俺誕生日だったんじゃん、忘れてたけど」

 クリームといちごのシンプルなケーキを前に、ディアッカはひとりうなずいている。ホールケーキの中心を飾るチョコプレートにはハッピーバースデーの字が踊っていた。そういえば今頃だったな。今日はいつかと薄暗い部屋を見回すと、卓上のカレンダーは2月のままで止まっていた。

「マメだな、貴様の家」
「いや、そういうサービス契約しっぱなしなだけ。アカデミーでも送られてきてたの知らなかった?まあ受け取ったらすぐに甘いの好きなやつに回してたしな。ワンホールとかひとりで食いきるの絶対無理だ…」

 それを、知らなかったことについて、特にどうとも思わなかったのだが、ふと手が伸びてなめらかなクリームのおもてに触れた。しかし指先が感じたのは思っていたよりも格段に硬い触感で、触れた部分のクリームは指にはつかずにはがれて落ちた。よく見ればゼリーに覆われたいちごもなんとはなしにツヤがない。

「…なんだこれは。硬い…」
「だってこれ、誕生日に届いたんだぜ。それからずっと冷蔵庫に入ってたって、えーと、今日って4月…もう2日か。3日間?いや4日かな」
「なに生ものを放置してんだ!馬鹿か貴様!」
「俺のせいじゃねーよ!例の調整がごたついて部屋帰ったの一週間ぶりなんだぜ、少なくとも72時間以内には寝た記憶もねえし」
「ああ、おい、そっちは片がついたのか。すったもんだやってたのは聞いてるが、言っとくが俺だって48時間寝てないからな。…あーくそ、出るときついでにあの、あれを資料室に返しとけ。どうせ通り道だろう」
「とりあえず無理やり一段落つけて寝床で寝に戻ってきたとこ…で、おつかいはわかったからその代わり、ちょっと待った」

 身をひるがえしかけたイザークの腕をディアッカがつかむ。寝不足の不機嫌さで睨みつけてもどこ吹く風で、同じく寝不足のテンションの高さで箱を解体し始めた。「おつかいの代金と誕生日祝い、あとつっついた責任も取れ」「…何だって?」「食べるの手伝って」 カラフルでチープなろうそくをケーキに突き立て、これ、と、ディアッカは言う。

「ふざけんな、俺は眠いんだ」
「俺だって早く寝たいっての。だから手伝えって言ってんだろ、ただでさえ寝不足の上にコーヒー飲み過ぎの胃でこんなもん食いきれるわけないだろうが」
「なぜ食おうと…捨てろこんなもん!」
「いやですー、食べられるもん捨てたりしたらもったいないおばけが出る。それに一応は自分の誕生日のなんだ、気分悪いだろ、捨てるとか。つってもこれだけ硬くなっちゃあ他に回すのは無理だし、だからってもっと時間置いたらもーっとまずくなるだろうし…」
「………」
「お前が来てくれて、助かったと思ったんだけど」
「…最悪だ。」

 乱暴にベッドに腰を下ろすイザークに、ケーキに添えられていたプラスチックのフォークが差し出される。5本入っているから4、5人用のケーキなんだろう。せっかくだからと全部立てたろうそくがアバンギャルドなハリネズミのようだ。面倒なので火はつけなかった。それぞれ両端からフォークで崩し、掘り進めるように食べていく。
 夜の明けきらないほの明るい部屋のベッドの上で、制服のままの男が二人、丸いケーキをつついている。ずいぶんシュールな光景だろうな。ぼんやりとそんなことを思う。硬いクリームとスポンジと、しなびたいちごにさらされ続けた舌はそろそろ鈍くしびれてきた。胃がずっしりと重たくなって気持ちが悪い。ハリネズミのようだったろうそくたちは、まるで討ち死にしたかのようにアルミの皿に散らばっている。
 最後のひとかけを突き刺し、目の前のディアッカの口にねじこんでから、イザークはうめいて腹を押さえた。胸が焼けて仕方がなかった。思えばこれほどひどいカードを並べることもない。徹夜続き、夜明け前、古くなったケーキ、しかも丸ごと。何の拷問かとイザークは少し思った。その正面で、ようやく塊を飲み下したらしいディアッカがいきなり笑い出した。かなり力ないものではあったが。

「やっ…べーなあ、こんなん絶対歯と胃とお肌に超悪いだろ!思いッ切り体に悪そうな感じがまたたまんないよな。にきびできるかな。つーか、俺もう口内炎できかけてんだけど。見てよここ」
「…そうか…それは何よりだな」
「そんな、怒るなよ」

 箱やフォークをまとめて袋に押し込むと、ディアッカはにじり寄り、イザークの頬を包んでくちづけた。いつもよりも格段にかさついた唇。舌は本当に痛むらしく、たわむれるように先でかすめていくだけだ。互いにクリームの残滓が甘い。最悪だ、とイザークは思った。甘ったるい吐き気と甘すぎるキス。最悪だ。最悪で、最高だ。

「…やばい、盛り上がってきたかも」

 銀に光る唾液の糸でつながったまま、ディアッカが熱い吐息を落とす。イザークはどんよりした目で見返した。「貴様も寝てないんだろうが…」「疲れマラってやつですよ」 ディアッカはイザークの唇を舐め、けれどぱたりとその肩にもたれかかった。

「あーでも、駄目だ。さすがに、無理。途中で寝そう… なぁイザーク、眠い?自分のベッドで寝たい?」
「…眠い。何でもいいから寝たい、そろそろ人とか殺すかもしれん」
「じゃあ妥協案で、一緒に寝ようぜ。着替えとかは…、…いいか、もう…」

 肩に抱きついたままでゆらゆらと言うディアッカを、最後の力でバスルームまで引きずっていき、うがいだけしてから、さすがに精根尽きたイザークは否も応もなしでディアッカと一緒にベッドへ転がった。すり寄ってくるのは好きにさせておいてシーツをたぐる。肩までくるまり、隣でも同じようにする気配を感じながら、今日は2日かと沈みそうな頭の隅で考えた。

「…もののついでだ、おい、この際エイプリルフールもやっとけよ」
「…う、…んー、ん…イザーク愛してない…」
「俺は愛してる」

 シーツの中でディアッカの双眸が開いた。澄んだ紫のはずのひとみは疲労にこごり、充血しきって、にごっている。イザークはそれをまっすぐ見ていた。

「うそだよ」

 とろとろと瞼が落ちて、目が細められ、夢へと溶ける。イザークはディアッカの、もう大分に乱れた髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。その金色の中に指を差し込んだままで目を閉じる。規則正しい呼吸のリズムが世界を満たして、ゆるんでいく。
 夜が明けようとしている。






20110329