いつからこんなふうになったのだったか、もう二人とも思い出せない。 あるべき形でないとは承知の上で、それでも、身の内の衝動を何ものかへ叩きつけずにはいられないイザークと、文句を言いながらも受け止めることになじんでしまったディアッカの関係は、深まりこそすれ、離れていくものではなかった。初めて抱き合った夜からどれほど遠くへ来たのだとしても、それは変わらない。 物理的にも精神的にも二人は二人が一番近かったから、言葉にせずとも考えることは大体通じた。ふと視線を上げそれが絡むだけでこんなふうに、ディアッカはさっと席を立ち、イザークの望むものを望むように差し出してくる。イザークは目を閉じてほんの半歩ほど踏み出すだけでいい。そうやって二人でするキスは何やかやでささくれ立った気分に唾液を塗り込める行為だった。プラシーボ、それとも、ライナスの毛布? イザークがほしいときにディアッカは与え、ディアッカが乞えばイザークは明け渡す。 気持ちのいいことは精神を治める。自慰よりずっと易しい、優しい、それは柔らかな毛布だった。二人を包むもの。二人が、二人で。 「ふ」 鼓膜を通さずに伝わる声は、きっと触れ合う場所から響くのだろう。喉から生まれて唇からこぼれた音が唇から入り込み細胞をめぐって頭の中で声になる。それがとてもよいことのように思えて後ろ頭をなで、引き寄せようとしても、肩が押されて阻まれる。見返したディアッカの顔はもう優秀な副官になっていて、今のイザークに必要なのはまさしくそれだとわかってはいたが、やはり物足りなさは積もってみぞおちを熱くした。 イザークはディアッカが好きだ。ディアッカという生き物そのものを好きだし、その在り方も好ましい。どんなにひどくしても失われることはなく、どれだけ優しく触れても全てが投げ出されるわけではないディアッカ。あくの強いイザークを少しも損なわず寄り添いながらイザークとは違う景色を見ることもできるディアッカに、イザークは、憧れも尊敬も抱いていた。理解できないところや受け入れられない部分も含めて好ましいと思っている。それの名が愛だとか恋なのだと言われればそうかもしれないけれどそれよりも、たとえば、ずっと先、おとぎ話や夢物語にも等しいような遠い未来のことを漠然と思うときに、隣にいる気配をなんとなしに感じる、イザークにとってのディアッカはそのようなものだった。愛や恋が空の向こう月の彼方の星みたいなものだとするなら、君はあの星より美しいなんてことは絶対に言わないが、肩を並べて見上げるときに手をつなぐくらいはするかもしれない。ディアッカとはそんな存在だった。 イザークはディアッカが好きだ。そしてディアッカはイザークを好きだ。いつもイザークのそばにいるからというのもあるだろうが、ディアッカはわりにとっつきやすい人間だと思われやすく、しかし人当たりはよいにせよ、わかりにくさはイザークとも十分タメを張れるしそれ以上かもしれない。しかしそれは隠していること、隠したいことにおいての話で、別に隠していないことなどはわかりやすかった。少なくとも、イザークにとっては。だから、イザークは、ディアッカの気持ちをごく当たり前に知っている。そしてイザークがそうだということは、ディアッカも同じだということだ。 イザークはそれを言ったことはない。これから先も多分言わない。 ディアッカからそれを言われたことは、イザークはない。それはディアッカがイザークをよく把握しているからだ。イザークは負けず嫌いだ。負けず嫌いのイザークは先を越されるのが嫌い。そういうことを誰よりもよく知っているはずのディアッカが何も言わないイザークに対してあえて先んじようとしないのは道理だった。たとえそれだけではないとしても、少なくとも、それはちゃんとした理由のひとつだ。 イザークがそれを、これまでも、これからも言わないのは、ぶっちゃけた話・余裕がないから。イザークには義務があり、見合うだけの義務感もある。ただでさえ仕事は多い上に問題も多く、それらは増えていく一方であり、必要な手は足りないのに足を引っ張るそれだけは引きも切らないのがほんとうに意味がわからなかった。他人の邪魔をしている暇があるなら手伝ってほしいとわりと切実に思っているのに。そんなのでも猫の手よりはいくらかはましだろう。 誰かがやらなければいけないこと、それをするのが自分であることに否やはない。イザークには能力があり、それに対する誇りもある。だが容量というものはある。恋の重荷とはよく言ったもので、それはただ重いだけでなく、責務や職分に向かう意識を溶かしてしまうだけ甘くもあるはずだった。イザークはディアッカが好きだ。うかつに口になど出そうものならこの胸の内があふれて、溺れて、何もかも振り捨てて沈んでいく、それを至上の喜びとして甘受するだろう程度には。 想うだけならおのが胸ひとつで事足りる。 護りたいものがあるということは人を強くもするのだろう。だが、護らなければならない、とまでなってしまえば、それは弱みだ。それは人を弱くする。 弱る暇も隙も(少なくとも今はまだ) イザークには、持てない。 「ディアッカ」 呼べば振り向き、薄い微笑みが先をうながす。 それでも揺らぐのはこんなときだ。言わないと決めたのは自分だけど、言いたいと望む自分もいて、そいつはいつでも暴れている。嗚呼いいたいな。言ったらどんな顔をするだろう。どんな世界が見えるのだろう。 「コーヒー、頼む」 「わかった」 瞼の上を強く揉んだイザークは、カップが運ばれてくるのを待つふりで息を整え、喉が焼けるのは構わずに飲み干した。にがいな、と思った。 (あとちょっとだけ幸せになりたいそれだけだった、それを纏った貴方はこの世の何より素敵だろう) 言えるもんか。 20110310 その日までさよなら こいごころよ |